僕は新卒でアパレル系の専門商社に入社しました。
中学生の時から、周りの人よりファッションに興味があったからです。(中学生の時のファッションは今となればセンス無さ過ぎましたが笑)
大学生になって自分でアルバイトをして稼ぐようになってからは給料のほとんどを服に注ぎ込んでいました。
当時はInstagramnのファッションアカウント的なものも開設し、フォロワー1000人くらいはいたかと思います。(そんなに多いわけではありませんが笑)
とにかく服が好きだったので、就職活動で志望していた業種はアパレル系。
しかし、給料の面も考えアパレルに生地を卸す専門商社に入社しました。
そこまでファッションが好きだった僕が、最終的に今着ているTシャツは1000円のUNIQLOのものです。
今回はなぜ高価なブランド服に興味がなくなったのかをお伝えしていきます。
ファッションをアイデンティだと思っていた。
社会人1年目の時まで、僕はファッションはアイデンティティだと思っていました。
身に着ける服や靴が自分を表現する最強の手段だと思っていたのです。
というか、今でもそれに関してはそこまで否定はしません。
色々なコーディネートをして街を歩き、友達や店員さんなどに「お洒落ですね」と言われることで優越感を感じていました。
大学生の時は他人に対してこんなことも感じていました。
「勝負服がお洒落でも普段がダサければお洒落ではない」
過去の自分に言ってやりたいです。
「自分何様やねん」と笑
他人の服装にとやかくいう権利ないですよね笑
自分を周りの人よりも魅力的に感じさせるには、ファッションを極めることが最重要と感じていました。
アイデンティティが消滅した社会人1年目
しかし、井の中の蛙とはまさに大学生の僕のこと。
新卒で入社した会社はアパレル系の専門商社でした。
当然僕と同じように服好きの人が圧倒的に多いです。
というか僕なんかより圧倒的に服が好きで、自分なんか普通と感じてしまうくらい奇抜なファッションの人もいます。
僕の大学は教育大学だったため人数が高校並みに少ないです。
しかも教員を目指す人たちばかりなので、ファッションに興味のある人は少なかったです。
その中でお洒落と言われても、そこまで誇れることではないことに気付きました。(決して教育大学のファッションに興味のない人をディスっているわけではありません)
とにもかくにも社会人1年目で、自分のアイデンティだと思っていたファッションに対して急激に劣等感を感じてきたのです。
裸の自分で勝負する
そんなモヤモヤを抱えながら日々過ごしていると、どんどん自分自身にも自信が無くなってきました。
大学生の時までは、自分ならなんでも出来るんじゃないかと思えるほど、無限の自信に溢れていました。(めちゃくちゃ盛っています)
しかし、社内のお洒落さんとコミュニケーションをとる中で感じ始めたことがあります。
「表面を着飾ってるだけで、肝心の自分自身は空っぽだな」と。
すごい棘のある言い方かもしれませんが、これが僕の本音です。
ファッションにこだわる人が皆そうとは言いません。
しかし、ファッションにこだわりを持ち過ぎるあまり、他人のファッションをバカにしたり、自分はお洒落だから周りの人よりすごいという壮大な勘違いをしている人が多いと感じました。
そういう人に限って、人間関係も外面だけで判断しようとします。
耳を疑うことも聞きました。
「ファッション疎い人って、街中歩くの恥かしくないのかな?」
そんな発言しているお前が恥ずかしいわ。
という僕も以前まではそういう感じだったんだと思います。
この時から、ファッションはあくまで自己表現のツールの一部に過ぎないと思うようになりました。
また、僕のファッションへの価値観が以下の2点になりました。
- 自分の本当にいいと思った物だけを少数精鋭で身に着ける
- 身に着ける物ではなく、自分自身を磨いた方がかっこいい
①はミニマリストを名乗る人がよく言っていることなのでまたかと思ったかもしれません。
僕なりに補足するとしたら、繊維商社で働いた経験から生地の質に関しては、ハイブランドもユニクロなどの安いブランドもそこまで大きく変わらないということです。
確かに、服というのは生地だけではなく、縫製や装飾などにもコストはかかってきます。
しかし、価格に大きな差が生まれる要因はやはり「ブランド」です。
そのため、以前のように高い服=良い服という固定概念は外すようにしました。
自分が本当にいいと思ったものを、値段に関係なく選ぶスタイルに変えました。
僕のTシャツは1000円のユニクロの物です。
以前は3万円くらいのTシャツだったのですが、なぜユニクロにしたかというと、夏に切るTシャツは汚れやすかったからです。
いくらブランドのTシャツを着ても何回も着ていたらすぐ色褪せ、ヨレヨレになってしまいます。
そうなるといくら高いTシャツでも安く見えてしまいます。
また、ユニクロのTシャツだろうが、ブランドのTシャツだろうが、ブランドロゴが無い無地のTシャツであれば、差が分かる人なんてよっぽどいないのです。
こういうことを言うと、そんな高価なTシャツを買えないだけだろうと思われるかもしれませんが、そう言う議論がしたいわけではありません。
と言うのも②です。
高価な服で身を固めるより裸の自分を磨いた方が圧倒的に魅力的だと言う考えになりました。
服にお金を使うくらいなら、筋肉を鍛えたり、肌や髪や歯のケアをすることに投資した方が、長期的にみて絶対にいいです。
服はいくらでも取り替えることが可能ですが、自分の体は取り替えの効かない唯一の資本です。
ここに投資しないで、いずれ消えてしまう服にお金を使うのはあまりにも勿体ないです。
また、服やアクセサリーで装飾すると、せっかく磨いてきた魅力が隠れてしまいます。
そのため連鎖的に服も本当にシンプルな物を身に着けるようになってきます。
そしてシンプルな物を好むようになると、あれもこれもと欲しい服は増えなくなります。
ユニクロは自分の魅力を引き出してくれる
こう言った思考に変わってきた僕が魅力的だと感じるブランドはユニクロです。
何と言っても、特徴が特にないあのシンプルなデザイン。
さらに、ユニクロの◻️◻️のブランドロゴもシンプルかつミニマルで、ブランド間を強調してこないのも魅力的です。
(いっそのことブランドロゴすら廃止してもいいと思いますが笑)
また、世界中のどこにでもあるので、安定して同じ商品が手に入ります。
服がユニクロだとお洒落に無頓着かと思われるかもしれませんが、自分磨きさえしていればユニクロの服でも十分魅力的に見せることは可能です。
さらに言えば、服にも頼らず本当の意味で自分の魅力を伝えることが可能になるのではないでしょうか?
まとめ
結論、僕がブランド物の高価な服興味がなくなった理由は、
「服に頼らず、自分自身をブランド化するため」
です。
社会人になり会社に所属してから、自己紹介するときに必ずと言っていいほど、「(会社名)の山手です」と言っていました。
合コンなどでは「商社で働いてる山手です」なんてカッコつけて言っていました(笑)
しかし、今思えば物凄くダサい気がします。
自分を紹介するのに自分以外を拠り所にしていることが本当に惨めになりました。
ファッションにおけるブランドも同じです。
ブランド物の高価な服を着ている自分ではなく、そんなブランドなんて関係ない自分自身を全面に押し出して生きている方が断然かっこいいと思うようになりました。
勘違いして欲しくないのは、別にブランドを否定しているわけではないと言うことです。
別に好きな服を着ればいいと思います。
僕だって全部ユニクロというわけではありません。
服ではなく、「自分」の魅力を上げることにもっと自己投資していってはいかがでしょうか?
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